がきんちょ母さんバカリタン

大学4年生で結婚・妊娠したがきんちょの奮闘記です

【妊娠39週2日目】出産レポ

【祝】

無事、子猿が産まれました!

 

その経緯が結構焦ったので、時系列でメモ程度に紹介していこうと思います。

 

 

 

軽く水っぽいものが出たので病院に連絡。
救急車を呼び、その中で検査をしたが破水反応なし。
病院で様子を見るか自宅待機かを選ばされ、自宅待機を選択。

1日目

19:30頃

軽く破水した気がしたので病院に連絡。

救急車を呼んでその中で検査をしたが、反応なし。

自宅待機に。

2日目

2:41

寝ている間に再度破水した感覚があり、旦那を起こす。
上体を起き上がらせるとジャバジャバ流れ出して焦る。
再度救急車要請。

2日目

3:00頃

救急車到着。病院へ。

 2日目

3:30頃

病院到着。

病院指定の衣服に着替え、陣痛室に。

ネームバンドやその他諸々の記入。

体温と血圧の測定、NSTの装着。

破水をしてしまっているので抗生剤を点滴。

2日目

4:30頃

浣腸される。

陣痛が出始めてくる。

2日目

6:30頃

陣痛の間隔が6分程度になってくる。

2日目

7:00

朝食。余裕で完食できた。

2日目

7:30頃

院長先生の内診グリグリ。めちゃくちゃ痛い。

子宮口2cm程度。陣痛の痛みが増すのを待つ。

2日目

11:30頃

助産師さん内診。

子宮口は2cmで変わらず。

2日目

12:00

昼食。まだ完食できた。

2日目

14:30頃

助産師さん内診。
子宮口は柔らかくなってきたが、降りてきていないからまだかかるとのこと。

2日目

15:00頃〜

陣痛の痛みが強くなってきて時間などの内容をメモしている余裕がなくなる。

どこかで内診があったような気がするが、変化無しみたいなことを言われてショックを受けたような…よくわからない。

2日目

20:00頃

私の両親が陣痛室まで見舞いに来るが、よく覚えていない。

2日目

21:00頃

強まる痛みと降りてこない子宮口、終りが見えないことから発狂。

痛みが来ると声が抑えられないレベルに。パニック症状も発症。 

2日目

23:00頃

疲れて声すら出ない状態に。

黙って痛みに耐えるが、もう完全に今までの痛みとは違い、おしりの方に何かが降りてくる感覚あり。

 3日目

0:00頃

何か出てくる感覚。

しばらく黙っていた分体力が回復し、また叫べる状態に。

内診の結果子宮口は一気に9cmに。

 3日目

1:00頃

内診に来た看護師に「もう産ませてくれ」と懇願。

車椅子で分娩室へ。車椅子に乗るのに立つだけで産まれそう。無理。

分娩室では酸素マスクを装着させられる。

 3日目

1:30頃

数回いきんだ結果、一気に全身を出産。いつ会陰切開されたかわからない。気づかないうちに麻酔をされていたらしい。

出てきたのが一気すぎて唖然。

子猿はすぐに産声を上げたが、咳き込む様子が伺える(後で聞いたが軽く低酸素状態だったらしい)。

 3日目

1:45頃

胎盤が出てくる。

子猿もある程度身体を拭かれ、私の胸の上に乗せてもらえた。

記念撮影。撮影直前に子猿は咳き込んで羊水を吐き出し、口の周りビチャビチャ。

会陰縫合される。麻酔が効きにくい身体なので、最後の方は痛かった。

3日目

2:00頃

低酸素状態の疑いがあった子猿は普通より早くベビー室へ。

旦那が連れて行ったが、状態が安定していることから分娩室前で記念撮影をしてもらったらしい。ずるい。

私は子宮収縮のための点滴を投与(2パック)。

病室を選ばされるが、私は意識が朦朧としていたので旦那に頼んだ。

3日目

3:30頃

旦那は病室に行くことができないため、一旦帰宅することに。

タクシーで帰るか始発まで分娩室前で待つかの選択だったが、私の両親がまだ起きていたので車で送り届けてもらうことに。

3日目

4:00頃

点滴の投与が終わり、病室へ。

産褥ショーツに履き替えさせてもらい、トイレに行くように指示される。ふらつかないかの確認も兼ねているそう(それ次第で点滴が追加されるかもしれないと言われた気がする)。

意外と歩けた。まだ若いから回復が早かったんだと思う(自己分析)。

助産師さんに荷物を持ってもらい、病室へ。

…レポート完。

 

 

本当に死ぬかと思った。

途中本気で殺してほしいとしか思えませんでした。

辛かった…

 

でも確かに、よく考えてみたら赤ちゃんが出てくる瞬間に関しては、思ったほど痛くはなかったな…

おそらく一気に全身が出てきてくれたことと、驚きが勝ったためだと思う…

 

 

とにかく、今生きていて本当に良かった…